大日本印刷(DNP)が、8月9日から9月21日にかけて、「アートをもっと身近に、もっと自由に」展を東京で開催するそうです。モネやゴッホといった巨匠の名画データをもとに、クリエイターが様々な創作アイテムを展示する面白そうなイベントです。ライセンスビジネスを展開するDNPグループのサービス宣伝を兼ねているようですね。
さて、DNPも弊社も印刷関連業界に属しているわけですが、この業界で仕事をしていると、「アート」や「デザイン」という言葉をよく耳にします。弊社も縁あって何名かのデザイナーと協力関係を結んでおり、切絵御朱印のデザインや、ポップアップの設計・デザインなどをお願いすることがあります。
【参考】切り絵御朱印制作の流れ
https://www.tokyo-shiki.co.jp/archives/5891
【参考】「しかけがみ」でオリジナルポップアップ制作!
https://www.tokyo-shiki.co.jp/archives/5786
彼・彼女たちはデザイナーである一方で、アーティストとしても活動をしている方が多いです。デザイナーやアーティストは、その名の通りデザイン作成、アート創作で生計を立てている方たちですが、皆さんはアートとデザインの違いをそもそもご存じでしょうか?
今回はアート、デザインの違い、そしてアートの価値についての簡単なコラムとなります。なお、諸説あると思いますので、あくまでも一説ということでご理解いただければ幸いです。
目次
アートとデザインの違い
アートとデザインの一番の違いは、外向きか内向きかという点です。デザインは何か目的や目標があって、そのために機能や意匠などを開発・設計するということです。一方アートは、アーティスト自身の内面の発露であり、極めて自己中心的な表現ということになります。
アートの語源
アート(Art)の語源は、ラテン語の”Ars”で、さらにその基となった言葉はギリシャ語の”techne”という言葉です。Techneはtechnicの語源にもなっている言葉で、技術という意味を持ちます。もともとアートという言葉は、医術や科学技術など様々な分野の技術を包括した意味をもっていました。一般教養のことをリベラルアーツ(Liberal Arts)と呼ぶことがありますが、これもそのためです。
今のように「アート」が美術・芸術を特に意味するようになったのは、産業革命の時代からです。科学技術が大いに発達したこの時代、科学(Science)や技術(Technology)はアートから分離し、それぞれの分野で独自に発展していくこととなりました。
デザインの語源
同じくこの時代に、それまではアートの範疇に入っていた、より実用的な設計や意匠を作る技術のことを、フランス語の”dessin”(デッサン)から転じて英語で”Design”(デザイン)と呼ぶようになりました。
大量生産・大量消費の時代に入ると、機能性と美しさ、そして消費者を重視したものづくりを目指す運動が活発になり、「インダストリアルデザイン」という考えが生まれました。そこから、アヴァンギャルドが代表するような「グラフィックデザイン」や、それに続く「バウハウス」といった、ものづくりを中心にデザインを考える運動も盛んになり、現在にも通じる「デザイン」の土台が作り上げられていきました。
長い人類の歴史において、アートとデザインがハッキリ分かれるようになったのはそんなに昔の話ではないのです。
現代アートとは
アート、デザインの言葉が生まれた流れをみていけばわかるように、アートとは「実用的ではないもの」となります。現代アートの中には、一見何を表現しているのかよくわからないものもありますよね。有名なものでいえば、コンスタンティン・ブランクーシの「空間の鳥」や、マルセル・デュシャンの「泉」など。(興味がある方は調べてみてください)
これは、現代アートがリアルな世界からいかに離れていくか、といったことがひとつテーマになっているからです。いかに「リアル」で「綺麗な」絵を描くかといったことを追求してきたそれまでの伝統的美術に対し、そもそもそんなことをする必要があるのか?というアンチテーゼから発展していったものが現代アートです。
ですから「泉」は、どこにでもある大量生産された便器をあえてアート作品としたわけです。当時の(今も)常識からいったら、これがアート?と物議をかもしたことは言うまでもありません。
アートは内面の発露であって、もともと社会や他人に強要されるものではなく、自由であるべきなのです。それはそれまでの美術知識や技術、トレンドや常識にすら従う必要がないということ。圧倒的なフリーマインドをもって、内面にある自分の美的欲求を最大限表現すること。現代アートはそのこと自体に価値を見出したわけです。
アートの価値
完全なる自己表現であるアート。そういう意味では、他人が理解できないものであっても仕方がありません。一方で、落書きのような絵がオークションで数億円で取引されたりしますが、これはどういったことなのでしょうか。
アートを鑑賞してそれをどう捉えるかは、その人自身の感性や理解によりますので、基本的に「答え」はありません。しかし世の中にはそのアートを観て、「これはこれこれこういうロジックがあって、だからこういう意味を持つのだ。」という批評をする人たちがいます。理論、批評をもとにそのアートが持つ価値を現実社会の価値に翻訳していく作業をする人たちがいわゆる評論家と呼ばれる人々です。
評論家の多くは、その人自身も美術・芸術において一定の評価を得ている人たちです。そういった人たちが作品を「批評」「解読」し、さらにそれを多くの人が「納得」「同意」「評価」することを通じ、アートは現実社会における価値を持っていくことになります。
デザイン作品は、基本的にその実用性に応じて価値が定められていったり、事前に決まっていたりしますが、アートは“無”から価値を創造するという性格が強く、ある意味では無限で、時代によっても価値がどんどん変わっていきます。共通するのは希少度が高いほど価値は高くなるということです。
まとめ
アートとデザインの違い、簡単に説明してみましたが、お分かりいただけましたでしょうか。
アートは内面的で自由で非実用的、デザインは外向的で制約があり実用的。
この業界に携わる者として、“機械で加工したものは果たして「アート」といえるのか?“という疑問を抱くことがあります。アートは「自由」です。私はこの疑問に対して、手で作ったオリジナルだけが「アート」だと限定すること自体がナンセンスであると自問自答したいと思います。
お客さまのアイデアをカタチにするために、素材や印刷、そして加工について常識にとらわれることなく必死に考え具現化する。この一連の流れ自体が、東京紙器にとっての「アート」なのです。