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”訪問記” 早春の京都山科めぐり その一

 2月下旬の早春に小野・山科周辺を訪れてみました。目的は隨心院で2月17日から3月12日まで行われていた「春季特別御開帳」を見に行くことでしたが、ついでに周辺の散策もしてみました。
 今回の散策では、歴史を感じさせる寺院や神社が点在する山科地区の魅力を改めて感じることができました。山科方面を観光の際は是非参考にしてください。

勧修寺(かじゅうじ)

勧修寺の宸殿

 小野駅を下車して醍醐道を西へ5分ほど行ったところにあるのが「勧修寺」です。真言宗山階(やましな)派の大本山の門跡寺院で、創建は平安時代中期900年頃とされています。
 山門へと続く道の両側には美しい白壁の築地塀が続きます。この白壁が門跡寺院であるという格式を表わしているそうです。醍醐天皇に縁のある寺院であることから、山門には菊の御紋が飾り付けられていました。境内へ入るとまず見えてくるのが「明正殿」と名付けられた「宸殿(しんでん)」です。宸殿は境内で最も格式が高いとされる建物で、屋根は入母屋造、内部は書院造という非常に立派な建物です。明治初期の一時期は学校の校舎として利用されていたそうです。案内に沿って進むと、続いて書院が見えてきます。江戸時代中期の建築でこちらも重要文化財に指定されています。建物を背にして見えるお庭には、水戸光圀公が寄進したといわれる灯籠が置かれていますのでお見逃しのないように。

勧修寺の観音堂

 更に道なりに歩いていくと、見えてくるのが観音堂です。観音堂の奥を進むと平安時代の作庭技術を今に伝えるという、京都市指定名勝の氷室園があります。5月になると睡蓮や花菖蒲が美しい景色を作り出すそうです。また、先日アカデミー賞を受賞した(おめでとうございます!)「君たちはどう生きるか」にも登場する「アオサギ」が住み着いていて、眼の前で観察することができました。
 氷室園を背にして左前方へ進むと、境内の1番奥にあたる場所に本堂があります。こちらには室町時代に作られた千手観音菩薩像が祀られています。建物宸殿などと同じく江戸時代中期の建造です。他にも境内には樹齢750年のハイビャクシンをはじめとする老木たちや、弘法大師像、さざれ石などがあり、歴史や文化の息吹を感じられる要素が満載です。

勧修寺のアオサギ

佛光院(ぶっこういん)

 勧修寺のすぐ隣に位置するのが佛光院です。佛光院は、1951年に大石順教尼(じゅんきょうに)によって再興建立された寺院で、芸術と福祉に造形が深い寺院として知られています。こじんまりとした寺院で、あまり立ち寄る人も多くはありませんでしたが、堂々たる佇まいでした。
 大石順教尼は本名を大石よねといい、ある凄惨な事件によって17才で両腕をきり落されてしまいました。腕を失いしかも読み書きもできない状態から、不屈の精神で字を覚え、口で筆を取って描く技術を身に着けました。やがてその才能は開花し、日本最大の総合美術展覧会である「日展」に入賞するまでになりました。さらに「口と足で描く芸術家協会」の会員に日本人で初めて選ばれています。自身の身体が不自由であったことから、障害で苦しむ人達や恵まれない子供たちの救済に尽力し、80歳で亡くなるまで、そうした福祉活動に身を捧げました。

宮道神社(みやじじんじゃ)

宮道神社

 佛光院から南へ少し行ったところには宮道神社があります。平安時代初期に創祀されたという小さなお社がある神社です。とても綺麗に整備されており、地元の人々に愛されている神社であると感じました。今昔物語集に紹介されている宮道列子(みやじのれっし)と藤原高藤のロマンスに関係があることから、縁結びのご利益があると言われています。

吉利倶八幡宮(きりくはちまんぐう)

 宮道神社より更に南へ進んだ道路1本隔てたところに朱塗りの鳥居が見えてきます。拝殿前に大きな御神矢が2本立っているのが印象的な吉利倶八幡宮です。宮道神社と同じく平安時代の創建で、江戸時代までは勧修寺の鎮守社(ちんじゅしゃ)でした。立派な本殿は江戸時代中期に勧修寺の造営にも携わった大工によって建てられたと言われており、江戸の建築様式をよく伝える建物は現在京都市指定有形文化財に指定されています。歴史的に価値ある建造物がさり気なく鎮座しているのが、流石京都というところでしょうか。

吉利倶八幡宮の鳥居

醍醐天皇後山科陵

 ところかわって、小野駅から東へ歩いて20分ほどのところには醍醐天皇の円形の御陵(お墓)があります。平安時代中期に造営された陵として確定した唯一例になるそうです。小高い山の中腹に位置し敷地内の様子は分かりませんが、こんもりとした木々でおおわれています。周囲は静かな住宅地ですぐ隣にも住宅が建っていました。
 醍醐天皇は、平安時代中期の西暦897年に即位し、紀貫之らに「古今和歌集」の撰進を命じたことなどで知られています。その治世は34年にわたり、摂政や関白を置かずに政治を行いましたが、最初に左大臣、右大臣に任命されたのが藤原時平、菅原道真でした。901年、時平の進言で醍醐天皇は道真を大宰府へ左遷しますが、その後に災いが相次いだため、923年に道真の左遷を取り消し、右大臣の位に戻すなどして慰霊に努めたそうです。

まとめ

 今回は隨心院周辺の散策ということでしたが、それぞれしっかり見て回ると半日はかかる行程でした。日頃から良く歩いていないとすぐに疲れてしまいます。散策してわかったことは、この小野という地域は醍醐天皇と縁のある平安時代から続く神社仏閣が多く、とても歴史の深い地域ということです。閑静な住宅街が広がり、賑やかな京都市内とは大分雰囲気が異なりますが、その分ゆっくり見て回ることができ、大人な楽しみ方ができる場所という感じです。

続編:“訪問記” 早春の京都山科めぐり その二

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