2023年2月17日、東京・市谷にある「市谷の杜 本と活字館」で「活版塾」が開催されました。活版塾は以前の記事でご紹介した「弘陽」の三木さんが不定期で開催する活版印刷に関する勉強会です。70を超えた今でも現役の活版印刷屋さんとして活躍されている三木さんのお話が聞ける活版塾はとても貴重です。今回で2回目の参加でしたが、ライターやクリエイターといった普段中々一緒にお仕事のできない業界の方々と交流できることも勉強会の大きな魅力です。今回は、本と活字館で開催されている企画展「活字の種を作った人々」にちなみ、「活字」をテーマとした内容でした。
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「市谷の杜 本と活字館」とは?
印刷業界では言わずとしれた大日本印刷株式会社(DNP)ですが、そのDNPが拠点を置くのが東京の市谷です。DNPは1935年に「秀英舎」と「日清印刷」という印刷会社2社が合併してできた会社で、秀英舎が明治期に工場を開設したのが市谷でした。戦災を生き残った市谷工場は高度経済成長期の印刷・出版業界の勃興と共に大いに発展しました。その市谷工場が、2009年から始まった自然との共生をテーマにした市谷地区の再整備により、雑誌や書籍の製造拠点としての役割を終えその機能は郊外へ移転されました。「本と活字館」はそれら整備計画の一貫として、かつて営業所として利用されていた建物を1926年の建築当初の姿へと復元し2021年2月にオープンされました。
市谷工場では2003年まで実際に活版印刷が行われており、「本と活字館」には当時使用されていた印刷機や活字などの貴重な資料が使用できる状態にリストアされ展示されています。施設では活版印刷で本を作る過程が紹介され、文字を作る「作字」から本として完成させる「製本」までを貴重な資料を見ながら学ぶことができます。また、卓上活版印刷機を使った印刷体験や手作業での本づくりを体験できるワークショップや印刷関係の専門家を招いたトークショーなどのイベントが開催されており、活版印刷の魅力を初心者から専門家まで幅広く体験できる、どなたでも気軽に楽しめる施設です。
活字の種を作った人々
2023年11月から開催されているのが「活字の種を作った人々」という企画展です。活版印刷で使われた「活字」ですが、この活字を量産するのに必要な「型」のもとになるものが「種字」です。種字は木材や鉛合金などでできた角材の小口に、作りたい活字と同じ文字を判子のような鏡文字状態で彫刻して作られます。そしてその種字を彫刻していたのが「種字彫刻師」と呼ばれる方々でした。しかし、この高度な技術にも関わらず、種字彫刻師は一作業者という立場から、職人としてほとんど一般に知られることはありませんでした。日本の近代化と発展に大きく寄与した印刷・出版業の発展を陰ながら支えていた人々にスポットライトを当てたのが、現在開催されている企画展です。
展示では、活字が作られる過程や方法、そしてそれを具現化していた彫刻師の驚くべき技術について歴史的な背景と共に詳しく解説されています。種字の彫刻では、左右反転させた文字を木や鉛の角材の先端に彫刻刀を使って掘るのですが、その大きさは数ミリ程度しかないものも多くありました。更に、活字は判子のように限られた枠の中で完成するものではなく、文章として揃えた時に、それぞれの文字が違和感なく見えるようにバランス良く作り込まないといけず、その精度は相当に卓越した技術がないとできなかったそうです。彫刻師の手によって実際に彫り込まれた種字も展示されており、種字づくりがいかに繊細で大変な作業であったかを伺い知ることができる貴重な展示になっています。
活版塾の様子
勉強会では、本と活字館に展示されている印刷機や活字などについて、三木さんがお持ちの知識や経験をもとに分かりやすく丁寧に解説してくださいました。所狭しに並べられている活字の中から印刷に使う文字を探して拾う「文選」の難しさや求められる作業スピードのことなどは、経験者でないと分からない非常に興味深いお話でした。 展示に関連した話では、種字から作られる活字の型である「母型(ぼけい)」の作り方について手作りの資料を用いて解説いただきました。母型には、電胎母型(ガラ母型)、彫刻母型(ベントン母型)、打込母型(パンチ母型)という3種類(製造方法)があり、それぞれ異なる特徴がありました。
電胎母型(ガラ母型)
手掘りの種字から作られる母型で、種字の製作含めあまり生産性がよくありませんでした。
彫刻母型(ベントン母型)
ベントンという機械を使って直接母型の基材に文字を彫り込む方法です。種字が不要で元となる書体を彫刻せず手書きで良いため、母型製造の生産性が飛躍的に向上しました。今回、参加者の方がコレクションしているドイツで購入したという彫刻母型から作られた活字とそれを名刺サイズの紙に印刷したものを持ってきてくださいました。一見すると何が書いてあるか分かりませんが、拡大すると5mmほどの大きさに数百の文字が印刷されているのが分かります。これほど小さな文字が再現できるのかと非常に驚きました。
打型母型(パンチ母型)
種字となる父型を基材に打ち込んで母型を製造する方法です。量産性に優れた製造法ですが、打ち込みに非常に強い力が必要なうえ、その影響で父型の耐久限度が弱く、広く普及するには至りませんでした。
さいごに
今回の活版塾では、活版印刷の技術、特に母型の製造に関わる複雑な工程とそれを支えた種字彫刻師の方々の努力と技術的な挑戦について理解を深めることができました。明治期から現代にかけて、日本の産業化と共に発展してきた印刷・出版業は、デジタル化の進展によって新たな転換点に立たされています。しかし、活版印刷に携わった人々の努力と創造性は、現在のデジタル社会においても生き続けています。例えば普段私たちが何気なく使うパソコンの文字も、活字が「書体デザイン」に昇華され更にデジタル化されたことで気軽に利用できています。これからの時代、私たちは子々孫々に何を伝え残すことができるのでしょうか。印刷業界に携わる人間としては、非常に考えさせられる内容でした。