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豪華絢爛な初詣御朱印
以前の記事にて秋の特別御朱印をご紹介させていただいた成田山川越別院で、お正月限定御朱印の頒布が年明けから行われます。来年は辰年ということで、非常に迫力のある龍を切り絵にした豪華な御朱印になりました。縁起の良い色とされる金と赤を基調としたデザインで、銀色の箔で力強く成田山の御本尊である「不動明王」の文字が印字されています。仏教には「七宝」と呼ばれる七つの宝物がありますが、金と銀はその中に含まれ、富や繁栄の象徴とされています。
辰年に因んで龍をデザインした御朱印
非常に豪華で繊細な龍の切り絵があしらわれていますが、この原画をお書きになったのは、愛知県津島にある牛王山(ごおうざん)観音寺の副住職です。こちらの副住職は、迫力ある墨絵など数多くのアーティスティックな御朱印やイラストなどの作品を手掛けられています。その様子はYouTube、Instagramで紹介されていますので、ご興味のある方は是非ご覧ください。いただいた原画を全体のデザインに落とし込むのと切り絵化は弊社で行いました。通常切り絵にする過程で多少デフォルメが必要になる部分が出てくるのですが、流れるような筆の感じなど、今回は可能な限り原画に忠実に再現しました。
牛玉山観音寺さまのご紹介
牛玉山観音寺は成田山新勝寺と同じ、真言宗智山派に属するお寺です。所在は愛知県津島で、名鉄線の津島駅からすぐのところにあります。津島といえば言わずとしれた織田家の台所で、かつては水運の要衝として栄えました。尾張の弱小勢力であった織田家が天下を取るまでになったのは、この津島の経済力があったからとも言われています。そんな津島の経済的、宗教的な中心だったのが牛頭天王社、今の津島神社でした。戦国時代から江戸時代にかけて、広く信仰を受けた牛頭天王は大きく発展し、当時代に津島神社神宮寺の1つであった観音寺も共に栄えました。観音寺は元「三興山回向院 観音坊」といい、天正2年(1574年)には織田信忠からの書状で信長の判形をもって5村の寺領が認められており、この頃に津島へ移転されたようです。豊臣の時代には、当時豊臣秀次に仕えていた田中吉政の書状により、豊臣家から白山権現の先達を認められており、白山信仰との関わりも伺え、広く信仰を集めていたようです。その後、明治時代の廃仏毀釈の影響でお寺の様子は様変わりしてしまったようですが、今では不動明王を御本尊とする護摩祈祷のお寺として皆さまに親しまれている、歴史ある由緒正しきお寺です。
初詣は川越と津島へ?
成田山川越別院と観音寺で頒布される御朱印は、それぞれ基本デザインは同じですが、朱印と箔押し部分が異なります。川越成田山では「不動明王」に対して、観音寺のものは「普賢菩薩」が箔押しされています。また箔押しの下にはそれぞれのお寺の朱印が見えます。普賢菩薩は辰年の守護仏で、その知恵をもって災いを除き幸福をもたらしてくださる菩薩様です。
大変な力作となった初詣御朱印ですが、これほどカッコいい切り絵御朱印は中々ないのではないでしょうか。製作に携われてとても光栄に感じています。埼玉県の川越と愛知県の津島では大分距離が離れていますが、このお正月は時間に余裕があるという方は、是非両寺院を参拝されてみてはいかがでしょうか…!?
ご参拝の方や御朱印を入手された方は是非SNSなどでアップしてください。
ハッシュタグは #成田山川越別院 #牛玉山観音寺 #東京紙器 #切り絵御朱印
川越成田山別院
https://kawagoe-naritasan.or.jp/
観音寺
https://www.kannonji81.com/
観音寺住職X
https://twitter.com/kannonzi_
副住職X
https://twitter.com/kannonji81
【参考】
津島市の歴史・文化遺産
https://www.tsushima-bunka.jp/
津島市史 資料編(二)
https://www.tsushima-bunka.jp/lib/houkoku/津島市史%E3%80%80資料編(二).pdf
中世津島の景観とその変遷
https://aichi-pu.repo.nii.ac.jp/record/1034/files/KJ00004167012.pdf
※注 PDFが直接ダウンロードされます。